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㉔からの続きです。
アメリカ帝国の敗北と衰亡
ニクソン対ケネディの大統領選において、犯罪性の高い負の家系のカルマをもつケネディではなく、ニクソンが勝っていれば、仮にニクソンの背景にロックフェラーのような国際銀行家がいたにせよ、ずいぶんアメリカの運命は、変わったのではないかと思います。
大統領の裏にだれがいようと、国運は、表の国家元首の運に添うからです。
しかしアメリカ人は、(不正選挙であっても)結果的に、ケネディを選びました。
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ベトナムで敗北した理由
1 アメリカ側に勝つ気がなかった
もともと、ベトナム戦争は、軍産複合体の在庫一掃セールをするために起こした戦争だった。
簡単に勝つと在庫がさばけないので、できるだけ長引かせて、軍産複合体に利益が出るようにしていた。
「傭兵部隊」 落合信彦
空軍パイロットとして、ベトナム戦争に参加したアメリカ人傭兵のデーナ・ドレンコスキーへのインタビュー
P150
Q 大部分のアメリカ人が初めはあの戦争は楽勝ケースだと考えていましたからね。
A 私はそうは考えていなかった。大学にいる頃いろいろな話を先輩たちから聞いていたし、入っている情報もあまり芳しくなかったからね。
(中略)
しかし、その疑問はベトナムへ行った時、簡単に溶けた。われわれパイロットは、セット・ターゲット(上層部によって決められた標的)しか攻撃できなかったのだ。
戦闘機での初めてのミッションの時だった。搭乗前に我々はブリーフィングでその日の攻撃目標の指示を受けた。ハノイ郊外にあるトラック運転手っ訓練学校がターゲットだった。これらのトラック運転手はホ・チ・ミン・ルートをトラックで走り、武器や弾薬を運ぶために養成されていた。我々は編隊を組んで目標に向かった。
その攻撃はわずかロケット弾3発で終了した。実質的には1分もかからなかった。しかもこっちの損害はゼロ。進路を変えて基地に帰ろうとしたとき、眼下に北ベトナム軍のトラック部隊が見えた。50台くらいで南に向かっている。我々にはまだ弾もロケット弾も十分に残っていた。そこでリーダの私は司令部に連絡して攻撃許可を求めた。
しかし、司令部の答えはノーだった。叩けるものを叩かないのだ。(中略)その後も同じようなことが何度も起こった。
転載以上
「傭兵部隊」 落合信彦
ベトナム戦争に参加したアメリカ人傭兵フランク・キャンパーへのインタビュー
P101
Q 結局アメリカはベトナムで敗北したわけですが、あのど真ん中にいた一人としてこの事実をどう受け止めましたか。
A 敗北というのは、両社がベストを尽くし、極限まで戦った結果どちらか一方が破れたとき使われる言葉だ。私はベトナム戦争でアメリカが敗北したとは決して思っていない。アメリカは勝とうとしなかったし、その意志さえもなかったのだ。軍事的にわれわれははるかに勝っていた。その証拠に北の大軍と真正面からぶつかった戦いでは70%以上わが方が勝っていた。68年のテト攻勢でも確かに我々の被害は大きかった。しかし、敵はそれよりずっと大きい3万から4万の死者をだしていたのだ。だから軍事的にわれわれは決して負けはしなかった。
しかし政治的に負けたのだ。ワシントンの政治家たちが我々を勝たせようとはしなかったのだ。彼らの頭の中には確乎とした外交政策などなかたし、ベトナムでの我々の最終的目的さえも確立していなかった。それに彼ら政治家は機を見るに敏すぎる。自分の選挙区で反戦運動が広がると、それまでの立場をすぐに切り替えてしまった。シビリアンコントロール下では軍人よりも政治家が最終的決定権を持っている。その政治家があんなざまでは勝てるはずがなかった。
その上政府は真実を国民に知らせていなかった。私が帰国した時、多くの友人がベトナムについて知りたがった。彼らはベトコンがそこいらの百姓の集団と信じていた。ヘリコプターも含めてアメリカ軍が持っているものすべてを彼らベトコンは持っているといっても彼らにはピンとこなかった。
中略
しかし、よく考えてみると、アメリカ政府は初めから戦争を捨てていたのかもしれない。不況で失業者が続出していたころだったから、わかいアメリカ人の男の数を少し減らすことが必要だった。だから、我々が狩りだされた。そう思うのも無理もないほどアメリカ政府はやる気がなかった。
転載以上
2 アメリカの真の支配者である国際銀行家(ロックフェラーなど)が、じつは共産主義者だった
「国難の正体」馬渕睦夫
P130
※ロックフェラー2
世の息子たち(左から、デイヴィッド、ウィンスロップ、ジョン3世、ネルソン、ローレンス)
もうひとつ大変重要なことに触れたいと思います。
それは、ロックフェラーが自慢してやまない国際主義者とはどういうイデオロギーであるかということです。実は国際主義者と共産主義者は根は同じという驚くべき歴史の皮肉です。
ロックフェラーのような大資本家が共産主義者と事実上同じイデオロギーを信奉しているとは、到底信じられないことのように思います。
共産主義は資本主義を打倒するためのイデオロギーであると、私たちは教科書で習いました。しかし、事実は全く逆なのです。世界の歴史が示しているのは、大資本家が共産主義を育ててきたという逆説の歴史です。
既に、第一章で、アメリカの数々の不可解な戦後外交の謎を見てきました。ソ連や中華人民共和国を支援してきたのは、アメリカやイギリスの国際銀行家たちでした。
(中略)
アメリカの大富豪は「共産主義者である」
第一に、共産主義も国際主義もともに世界を統一しようとするイデオロギーであることです。
先に、「はじめに」で述べましたが、グローバリズムと共産主義は根がひとつなのです。
グローバリズムこそロックフェラーが告白しているように、国際主義者たる国際銀行家たちが目指している世界です。物、金、人の国境を越えた自由な移動が可能な世界を実現することがグローバリズムの目標であり、国際主義者の目的であるのです。
これに対して、共産主義は各国に共産主義独裁政権を樹立することにおって、世界を共産主義という共通のイデオロギーの下に統一しようとする運動です。
中略
グローバリズムの特徴は、世界をグローバル市場化した後の体制が、一握りの大富豪と大多数の貧困大衆に二極分解されることです。大富豪たちは巨大な私有財産を保有していますが、貧困大衆は自ら自由に使えるしゆ財産はほとんど私有することができません。
共産主義も、一握りの共産党特権エリートと大多数の貧困労働者の二極に分解されてしまいます。
ソ連で私が目撃したのは、全てを支配する共産党エリートと、物言わぬ大衆という超格差社会でした。特権的政治エリートは国富の形式的な所有権は持っていませんが、事実上無制限の国富使用権を持っています。
転載以上
それゆえ、トランプが大統領になるまで、国際銀行家に占領されたホワイトハウスは、常に、ソ連を秘密裏に援助し続け、中華人民共和国や北ベトナムなど、アメリカの敵である共産主義側を常に勝たせ続けた。
3 世界最強のアメリカ軍を壊疽させた麻薬
「国難の正体」馬渕睦夫
P69
ベトナム戦争後、アメリカに麻薬禍が蔓延
ベトナム戦争はアメリカに麻薬が蔓延するきっかけとなります。毛沢東は雲南省でケシ栽培を認め、アヘンを北ベトナム、南ベトナムへ流し、アメリカ兵士の戦意を喪失させる戦術を取ります。その意味で、中国にとってベトナム戦争はアヘン戦争の意趣返しの側面を持つものです。
その結果、アメリカは巨大な麻薬市場へと変容していきます。アメリカの若者を捉えたビート族、ヒッピー、イッピーたちによって、数千万人の麻薬(ヘロイン、コカイン、マリファナ、LSD)患者が生み出されます。麻薬は徐々に、しかし確実にアメリカ社会を崩壊させていくことになります。
転載以上
4 ベトナム国民を反米にした韓国軍の所業
ベトナム戦争に、韓国軍を参戦させなかったら、もうすこし違った結果になったと思っています。
韓国軍のサイコパス的な蛮行が、南北のベトナム国民を、階級主義を問わず反米にしました。
・四柱推命占い鑑定|アメリカ帝国の衰亡|(前)ベトナム戦争史⑫虐殺者・蔡命新
・四柱推命占い鑑定|アメリカ帝国の衰亡|(後)ベトナム戦争史⑫虐殺者・蔡命新
そして、ベトナム戦争に韓国を参戦させる条件「ベトナム戦争に参戦した軍人にアメリカ国籍を与える」という約束のもと、大量の虐殺犯たちがアメリカに移住しました。そして、アメリカ社会に浸透した彼らは、さかんに反日活動を行っています。その一つが慰安婦運動です。
次号からは、ベトナム戦争の負の遺産ともいえる、アメリカの慰安婦運動について述べてみたいと思います。