皇女和宮の命式に見る皇室の伝統「複数体制」の維持③

皇女和宮の命式に見る皇室の伝統「複数体制」の維持②からの続きです。

「夭折する児童」

私の個人的な思い出です。

もうはるか昔ですが、小学校4年生から、5年に上がる時に恒例のクラス替えが有りました。

その時同じクラスになった男子、仮にA君としておきましょう。

彼は、内向的で無口な子供だったので、親しく話したことはありませんでした。

彼は、5年の夏休み前から登校してこなくなりました。

今はやりの「不登校」ではありませんでした。当初は、病気で入院したという話。

ところが、6年生の秋になっても登校してこない。

私の母が、PTAの役員をやっていた級友のお母さんに聞いたら「小児がんらしい」という話でした。

彼は、登校しないまま、小学校を卒業、そしてそのまま、名簿だけ、校区の中学に進級した5月に亡くなりました。

小学校5,6年の担当の先生と級友とお葬式に行きましたが、子供ながら「死」というものを身近に感じた出来事でした。

読者の皆様も、20歳を超えている人では、小学校、中学校の記憶で、彼の様な気の毒な同級生が、学年に一人ぐらいいたのではないでしょうか。

今となっては、下の名前も思い出せないA君、勿論、生年月日も知りませんが、憶測にすぎませんが、五行のバランスに偏りがあったのではないかと思っています。

★「五行」の意味とは

木、火、土、金、水は宇宙を構成する「五元素」ですが、人間の体のそれぞれの部位も示します。

ですから、命式では、五元素が全て揃うのがベスト。

偏りが激しくなるほど、健康に弊害が出ます。

 

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《私が拭いきれない疑問》

  • 孝明天皇の妹の「本物」の和宮が江戸まで「降嫁」したのか?

  • 「降嫁」後の和宮が記録上の31歳まで生きていたのか?

 

  • については、

和宮が降嫁した15歳の大運は

9歳~19歳 癸巳―印綬―病―大運空亡です。

十二運も「病」で弱いです。

★「お箸より重いものを持ったことがない」天皇の妹が、晩秋の中山道26日の旅に耐えられる体力があたのだろうか?

私も40代の働き盛りの頃、勤めていた証券会社の東京本社から、京都、大阪、神戸の支店に仕事で頻繁に出張していました。

移動はもっぱら新幹線でしたが、指定席でリクライニングでのんびりしていましたが、結構疲れましたよ。

お尻もいたくなるし。

飛行機でも「エコノミー症候群」と言って酷いときには死者も出るらしいじゃないですか。

記録によると、10月21日に京都を出発して、江戸着は11月15日です。

土地勘がありますが、晩秋の中山道は西日本の人間から見たら相当寒いし冷え込みますよ。

それも、籠での旅でしょう。10キロ進んだら、温泉旅館で休憩ならわかりますが。

天子様の妹君なので「下々」の人間の目に触れてはいけないのでしょう。

私なら、100万円上げるから、京都から中山道経由、東京までの籠の旅を経験しないか?

と誘われても絶対に嫌です。

同じ時期に、鹿児島から、江戸まで上洛し、帰りに生麦事件を起こした島津久光公もいましたが、あの方は武家の人間で鍛え方が違いますからね。

確かに、晩秋の京都も寒いですが、日光もまばらな木曽路、伊那谷なんて、超寒いですよ。

十二単で防寒体制とっても風邪をひきますよ。私が保証します(笑)

次号へ続きます。

皇女和宮の命式に見る皇室の伝統「複数体制」の維持④

 

 

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