皇女和宮の命式に見る皇室の伝統「複数体制」の維持⑤

皇女和宮の命式に見る皇室の伝統「複数体制」の維持④の続きです。

《「朝廷」としては、替え玉でも「健常者」を降嫁させなければ「メンツ」が保てない》

和宮には既に、有栖川熾仁親王という婚約者がいた。

「開国」で権威を失った幕府は、「朝廷」との融和で、失った権威を取り戻す必要に迫られていた。

それが、「和宮降嫁」を奉請した幕府の「政治的な目的」です。

最初は渋っていた、孝明天皇が和宮を納得させたのが「幕府は10年以内に攘夷を決行する」という「交換条件」です。

本気で「攘夷」をやる気がないのがわかっている幕府に、いくら孝明天皇の実妹で、聡明で気品が有っても、障害をお持ちでは、大奥の女たちから軽んじられるのが目に見えています。

作中の「フキ」の人選、指名は至極「辻褄」が有っていると思います。

 

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《無事に江戸に着いたとしても、健康で長生きしたのかは疑問》

《勝海舟の「氷川清話」による証言》

  • 勝海舟『氷川清話』に、和宮が庭へ降りる夫徳川家茂の草履をぴょんと飛び降りて直したとあるが、足が不自由であったという京都時代の記録と矛盾する(ただしのちに『氷川清話』の信憑性自体は否定する)。

私の尊敬する人物は政治家では勝海舟とタレーラン(フランス革命からナポレオン時代を通じた外務大臣)軍人では、先祖の仕えた島津義弘(維新公)の3人ですが、タレーランを尊敬するようになったのは、30代以降ですが、勝海舟は子供のころから好きで、彼の随筆集の「氷川清話」は、中学の頃、繰り返して何度も読みました。

歴史小説や、ドラマに頻繁に登場する勝は、将軍も含めて自分以外は皆、馬鹿に見えてしようがない人で、怖いものがなく「言いたい放題」ですが、怖いものがないゆえに、嘘をつく人ではないと思っています。

原作者の有吉は後に、「氷川清話」の信憑性を否定していますが、これは、何らかの圧力があったのだと私は見ています。

作者(有吉佐和子)はNHKテレビ『歴史への招待』にも出演し、日記の文体の変化など別の論拠を加えて自説を主張したため、歴史学者から反論を受けた。

 

 

《「歴史学者」は失うものがあるから、真実だとわかっていても公式には認められないことが多い》

歴史学者は、壮年期の人は大学に勤めており、高齢で権威のある人でも「歴史学会」に席があるから、発言には自ずと制約がある。

私の尊敬する秦郁彦先生も、「南京大虐殺」はあったと言っているし、「陰謀論」風味のこと例えば「コミンテル」などは頭から否定している。

秦郁彦とは・・・Wikiより

https://web.archive.org/web/20190415103253/https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%A6%E9%83%81%E5%BD%A6

大蔵省に頼まれて「席」を置いてやって、役所公認の元、歴史学研究にいそしんでいた天才学者です。これは皮肉ではありません。

私が若い頃から敬愛してやまない先生でした。

昔読んだ中公新書の「南京事件」では、虐殺はあった、しかし3千人程度と書いていたのが、今では4万人と言っています(涙)

2007年の増補版で、いつの間にか一桁増やしているんですね(怒)

熊本の人で、「南京攻略戦」に参加した人で、「南京が陥落し、城内に入ったら人っ子一人いなくてびっくりした」という話を聞いています。

もう亡くなられました。録音しておけばよかったです。

 

《和宮の死因は「脚気衝心」?》

脚気とは・・・Wikiより

https://web.archive.org/web/20190415105841/https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%84%9A%E6%B0%97

ビタミン欠乏症の一つであり、ビタミンB1(チアミン)の欠乏によって心不全と末梢神経障害をきたす疾患である。心不全によって足のむくみ、神経障害によって足のしびれが起きることから脚気と呼ばれる。心臓機能の低下・不全(衝心、しょうしん)を併発したときは、脚気衝心と呼ばれる。最悪の場合には死亡に至る。

日本では、白米が流行した江戸において疾患が流行したため「江戸患い」と呼ばれた。大正時代には、結核と並ぶ二大国民亡国病と言われた。1910年代にビタミンの不足が原因と判明し治療可能となったが、死者が1千人を下回ったのは1950年代である。その後も1970年代にジャンクフードの偏食によるビタミン欠乏、1990年代に点滴輸液中のビタミン欠乏によって、脚気患者が発生し問題となった。

子供の頃、親に「脚気て何?」と聞いたら「ビタミン欠乏症だよ」とあっさり教えてくれました。

自分も親族にもこの病気の罹患者がいないので、興味はなかったのですが、後に新書版の江戸時代の歴史を読んだら、東京にやたら蕎麦屋が多いのは江戸時代からで、脚気防止の為だったと書いてありました。

江戸という「大消費都市」の一種の風土病でしょうか?

漬物が豊富な京都なら、糠(ぬか)を使っているので、ビタミンBは京料理で普通に摂取できたはずです。

 

《31歳ではなく、もっと早く亡くなっていたのではないか?》

命式から「虚弱体質」を絵にかいたような高貴な方が、京都から見たら「東夷(あずまえびす)」と言われた外国の様な江戸で31歳まで生きたのがむしろ不思議。

  • 宇多絵:高田村名主新倉覚左衛門の娘。板橋本陣でフキと入れ替わり、替え玉として大奥に入る。

この作品の登場人物、宇多絵という人物がキーですね。

 

《和宮は幕府にとって大切な「人質」》

和宮は幕府にとっては「公武合体」、孝明天皇にとっては「幕府に攘夷させる」双方にとって重要な「担保」でした。

★簡単に亡くなられたら困るし、幕府の責任にもなる。

それで、早く亡くなられたら、「実は・・・・・」とは言えないので、二人目の替え玉「宇多絵」を予め、大奥に仕込んでおいたと考える方が、幕府と孝明天皇の双方の「政治的利害」が一致するわけです。

孝明天皇は、後に岩倉具視に暗殺されますが、それは「討幕」の邪魔になったからで、外国人嫌いで有名でしたが、本質は頑固な「佐幕派」でした。

続く

 

 

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