「天皇祭祀」は、皇祖神にすべての国民の「幸福」と「自然災害の発生の阻止」を願うもの
ちなみに、本邦初公開ですが、歴代の今上天皇の運気が「国運」と連動した例を、先帝様、昭和天皇の命式で検証してみましょう。
昭和天皇
1901年4月29日~1989年1月7日崩御
上 | 中 | 下 | 宿命星 | 蔵干 | 12運 | 吉凶星 | ||
年柱 | 辛 | 丑 | 己 | 偏財 | 食神 | 墓 | 飛刃 | |
月柱 | 壬 | 辰 | 戊 | 正官 | 傷官 | 偏印 | 衰 | 魁罡(かいごう) 天徳貴人 月徳貴人 |
日柱 | 丁 | 丑 | 己 | 食神 | 墓 | 飛刃 | ||
時柱 | 乙 | 巳 | 己 | 偏印 | 食神 | 帝旺 |
申酉空亡
宿曜経 翼宿
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「昭和大帝」の割には意外とシンプルな命式
日柱の天干は「丁(蝋燭の火、焚火の火)」で、4月生まれです。
4月は春とは言え、「寒の戻り」も有るので、寒風で火が消えることも有ります。
旬の季節ではないので、月令は得ていません。
その意味では、命式の構造は強くないです。
しかし、月柱に魁罡(かいごう)があって、同柱に偏印が有ります。
一般人なら大出世するところですが「治天の君」として、もの凄いパワーを持つことになります。
天徳貴人と月徳貴人のペアがあるので、天乙貴人に昇格します。
「切れやすい」飛刃が2個も有るので「瞬間湯沸かし器」だったでしょう。
長州の陸軍出身の田中義一総理大臣は、「張作霖爆殺事件」について、昭和天皇への報告内容が二転三転したので、厳しく叱責され、それがショックで総理大臣を辞任したたった3か月後に急死してしまいました。
《昭和天皇と大東亜戦争、特に日米戦争の戦況》
1941年12月8日 大日本帝国は米英に対して宣戦布告して、主戦場は中国大陸から、太平洋全般に広がりました。
昭和天皇の年運は
1941年 辛巳 偏財・・・・偏財は吉星で悪い年運では有りません。
真珠湾攻撃は、在ワシントン日本大使館の職員が、「宣戦布告書」をアメリカ政府に布告するのが遅れて、
奇襲攻撃が「だまし討ち扱い」されましたが、アメリカの太平洋艦隊を半年は「無力化」できたので、戦果は有ったと思います。
連合艦隊の真珠湾攻撃を知っていて、ハワイのキンメル大将に知らせずにいたフランクリン・ルーズベルト大統領も、
予想外の被害の甚大さに驚愕したそうです。
日本軍が電撃作戦で、香港、フィリピン、シンガポール、ビルマと快進撃を続けましたが、
「天下分け目」となったのは翌年、ミッドウェーの海戦です。
日米戦の分水嶺となったミッドウェー海戦の日の昭和天皇の行運(大運、年運、月運、日運、時運)を見て見ましょう。
海戦は1942年6月7日です。
上 | 中 | 下 | 宿命星 | 吉凶星 | ||
1942年 | 壬 | 午 | 丁 | 正官 | 比肩 | 羊刃2個 「囚獄&白虎殺」 血刃 天徳貴人 月徳貴人 |
6月 | 丙 | 午 | 丁 | 劫財 | 比肩 | 羊刃2個 「囚獄&白虎殺」 血刃 |
7日 | 辛 | 卯 | 乙 | 偏財 | 偏印 | 「囚獄&白虎殺」2組 |
年運は、壬午 正官 で吉運でした。
しかし、年運、月運ともに、羊刃2個 「囚獄&白虎殺」血刃と、凶星がずらりと並びます。
海戦当日も「囚獄&白虎殺」2組と凶星が勢ぞろいです。
年運には、天徳貴人 月徳貴人と吉星も来ていますが、負けてしまいました。
これには、昭和天皇以外にも関係が有ります。
当時世界最強と言われた大日本帝国の連合艦隊の幹部達の運気が影響します。
詳しい解説は、別の機会に譲りますが
連合艦隊司令長官の山本五十六は、午未空亡なので、1942年から空亡に突入していました。
しかも、海戦が6月で「午の月」なので、山本は、年運、月運ともに空亡でした。
山本は翌年の1943年、やはり空亡の未年に、ブーゲンビル島上空で、米空軍に待ち伏せられて、撃墜され戦死しました。
しかも、命日は空亡の「午の日」でした。
山本に次ぐNo2司令官と呼ばれた山口多聞(たもん)中将も、沈没する空母「飛龍」と運命を共にしました。
彼にとっても、1942年は、けじめをつけられる厳しい傷官の年でした。
日米開戦の決断の時に、昭和天皇に御下問され「2年は大暴れしてみましょう」と言った山本五十六が、海戦の2か月後から空亡では勝ち目は薄かったと思います。
山本五十六にしても、山口多聞にせよ、当時の列強で知らぬ者のない「有名な提督」2名が揃って、最悪の年運だと、「紙一重」の勝負にはリスクがあります。
国が亡びるときは往々にして「優秀な指揮官」が行運(大運、年運、月運、日運、時運)が悪い、「天の時」を得ないことが多いものです。
開戦当初の「参謀本部・大本営」の作戦は、先制攻撃でアメリカを怯ませ、堂々の海戦で日本海海戦の様な大勝利を収めて、日露戦争の時の様に「有利な状況」で講和条約を結ぶことでした。
ミッドウェー海戦は、戦後、諸国の海軍の参謀や、軍事史家が、何度も「机上演習」しても、結果は日本海軍の勝利になるという奇妙な海戦でした。
敵将のチェスター・ニミッツが、空亡でもない、食神の年で、No2のレイモンド・スプルーアンスも偏印の年でしたが、空亡では有りませんでした。
歴史に「イフ」は有りませんが、ミッドウェー海戦で、連合艦隊が完勝していれば、西太平洋の制海権と制空権は日本軍が握ってハワイを解放し、西海岸のサンフランシスコに上陸占領して講和条約で停戦となったかもしれません。
翌年1943年は、癸未 偏官ですが、昭和天皇の空亡の前年です。
空亡の前年の、大体、お盆過ぎから、翌年の空亡の運気が入ってきます。