美智子皇后|正田家再家系調査⑥
(続)部落民の信仰の対象だった白山神社、正田醤油敷地内の白山神社、転載フリー
*写真は、群馬県館林市の【正田醤油】敷地内の、白山神社です。
東武伊勢崎線『館林駅』前の正田醤油工場敷地内に鎮座。
館林駅西側が区画整理中で地図やナビが全く役に立ちませんでしたが、工場は目立つのでなんとかたどり着けます。あたりが醤油の良い香りがします。
神社全体像。小規模な神社です。拝殿の隣のお堂には何が祀られているのでしょうか。
2015年12月8日
昨日の記事を書く過程で、「関八州のエタ・非人頭」の弾左衛門について触れました。歴史上有名な人物の、弾左衛門、通称、浅草弾左衛門について、調べていくうちに、【部落問題研究家】の【有力な研究成果】を発見しました。
★関東地方の、部落地区には、必ず「白山神社」が有る。・・・・と言う実証研究成果です。
(根拠)
ある時、弾左衛門の次男が重い病気に罹り、生死の境をさまよった時に、浅草新町の【白山神社】=【現、今戸神社】、で祈祷したら、奇蹟的に快癒した。
それで、弾左衛門は、関八州(今の関東7県)甲斐都留郡(山梨県都留市)駿河駿東郡(静岡県駿東郡、清水町、小山町、長泉町)、陸奥白川郡(棚倉町、矢祭町、塙町、鮫川村)三河設楽郡(愛知県新庄市)の部落の「エタ頭」に対して、白山神社を断てるように命じたとあります。
神社を新しく建てる際には、勧請(かんじょう)と言って、「神様に動座してもらわなければなりません」、勧請は浅草新町の白山神社の神様にご動座願ったのでしょう。
この、白山神社が、館林市の【正田醤油】の敷地内にあります。
★これは、醤油労働者が、部落民であること、【正田醤油の社長】も部落民であることの証左であります。
明治になり、石高10万石並みと言われ権勢を振るった、弾左衛門一族も、特権をはぎ取られ、零落(おちぶれる)します。
怖い親分は居なくなったし、正田の分家はカトリックに改宗しているのだから、【白山信仰】は親分からの押し付けならば、白山神社を撤去しても良かったはずです。
神社は神官によって、決まり通りの手続きを取れば、撤去可能です。祟られることは有りません。それを今現在していないという事は【正田醤油のオーナー=正田本家】は、【白山信仰】を捨てておらず、部落民だという事です。
部落民を公表しているルポライターの上原善広(大宅壮一賞受賞)が、著書「日本の路地を歩く」で、館林市目車町を踏査し、【正田醤油の敷地内の白山神社】を発見し、「ここは、部落地区で間違いない」と判断した結論は間違っていなかったのです。
★しかし、【部落地区に指定されていない】その理由を【館林市役所】に問い合わせると【この地から皇太子妃が出ているから】指定できないという回答だったそうです。
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≪美智子の祖父、貞一郎は、何故醤油事業から離れ、製粉業を始めたのか≫
★答えは簡単【部落民であることを隠すため】です。
同じような例が有ります。在日企業ロッテです。
創業者の重光武雄(辛格浩;シン・キョクホ)は、事業が成功した後、インタビューにこう答えています。
記者「何故、菓子製造業を始めたんですか?」
重光 「だって、パチンコや、焼き肉屋をやったら朝鮮人だとばれるじゃないですか(笑)私は在日の連中と同じことはやりたくない」
お家騒動で揉める、ロッテですが、この重光と言う男は偉い男です。財務担当役員として、住友銀行から佃と言う重役を引き抜いていました。しかし、佃は重光の長男の宏行とことごとくそりが合わない。
思い余った佃は会長の武雄に直訴「私を取るか、ご長男を取るかはっきりさせてください。」それを聞いた武雄は躊躇なく、長男を子会社に飛ばしたそうです。普通の朝鮮人だったら息子の方を取ったでしょう。
どこか、日本人的な思考の持ち主です。朝鮮人をぼろくそに言っている、私もこの男は憎めません。
≪母国の消費者からエゲツナイ搾取をするロッテ≫
日本でも、何かと評判の悪いロッテのお菓子ですが、例えばロッテ、アーモンドチョコレートを買うと、少なくとも、ケース一杯のチョコが入っています。
これが、韓国では違うんですよ。韓国の掲示板を見ると、ネチズンたちが怒っています。
ロッテが、韓国で売る、アーモンドチョコレートは、ケースも絵柄も日本と同じですが、中身のチョコが、ケースの半分しか入っていません。しかも、値段は日本より高いんです。
★日本市場を重視して、韓国人消費者は、ボッタクリ、搾取の対象でしかないのです。そのせいか、先日、日本の江崎グリコがロッテのパクリを韓国の裁判所に訴えました。判決は、予想に反して、グリコの勝訴です。
国民の感情で判決を左右する韓国の裁判所ですが、【韓国民の反ロッテ感情】を重視した判決だったのでしょう。
そのあとのソウルでの謝罪会見が悲惨でした。重光の二人の息子、宏行と昭雄は、日本生まれの日本育ち、おまけに二人とも、青山学院の一番下から、大学までのエスカレーター、父の重光武雄、二男の昭雄の二人は奥さんは日本人です。韓国人を娶った長男宏行も、韓国語は片言です。
矢面に立たされた宏行に、韓国人から容赦ない罵声が飛びます。「韓国語でしゃべってみろ(怒)」しまいには、TVの画面にハングルの字幕が出る始末でした。
話しはそれましたが、【部落民の白山信仰】について、注意しなくてはならないのは、部落地区&白山神社が成り立つのは、弾左衛門の支配下にあった、関東近辺だけだそうです。
関西や、中部地方の白山信仰は、部落とは関係ないそうです。ご興味のある方は、大阪の部落地区を危険を冒して、散策してみては如何ですか?白山神社は無いと思います。
皇后の出自を暴いた、ルポライターの上原善広は、得意な立ち位置にいます。われわれ、「部落の秘密を知りたい人間」にとっては重宝な存在です。
彼が、「部落」のことをいろいろ言っても、同胞だから、解放同盟の糾弾を浴びなくて済みます。それに我々が知りたくても知れない面白い情報を山ほど持っています。橋下徹の様に「自分がカミングアウトしたからって、何をしてもいいと思うなよ(怒)」と言う同胞もいますが、【大宅壮一賞】まで取った作家ですからね。
★ただの【暴露本作家】ではないと思います。大阪府松原市出身で、父は精肉業でした。ハンマー投げの選手で、大阪体育大卒、子供のころから精神に双極性障害(躁うつ病)の持病を持ち、自殺を図ったこともある。
彼も、正田美智子同様クリスチャンで、洗礼も受けています。同じ部落出身の作家、中上憲次に師事して【部落地区を「路地」】と呼ぶようになる。
代表作、「日本の路地を歩く」を執筆し始めたころ、【部落解放同盟の幹部から】圧力を受けたが、調査してみると、その幹部は、【部落民ではなかった=えせ同和】、上原は「あなたのような一般市民から非難されるのは、「部落解放」にとって良いこと
である。是非【糾弾会】を開いてもらいたい」と言ったが、糾弾会は開かれなかった。
★皇后のルーツが群馬館林の部落地区にあることを発見したのは、東京都立大学非常勤講師の本田豊(著作「江戸の部落」)で、立場上言えないので、フリーランスの上原にリークしたと言われています。
以上
※⑦へ続きます